![]() 「30歳を過ぎて起業。普通のOLから社長に」
制服の美しさっていうのは、実は統一美なんです。ぴしっと統一された制服を着ることが美しさにつながり、企業のイメージも左右する。意外に思うでしょ。もちろん私も昔は高校の制服を恥ずかしながら着くずしてましたけど。ただ着くずし方がみんな同じなの。結局日本人は、同じものを着ていると安心するし連帯感を感じるんですね。今、ビジネスとしての制服のマーケットは厳しいけど、最近はセキュリティの面からも制服が見直されてきています。IDカードを首からかけていても、社員なのかどうか外見からは判断しにくいですが、制服を着ていれば一目瞭然。制服を着るとピシッと仕事モードにスイッチが入るし、衛生に気を配るところは必ず私服では対応できないですし、すたれないものだと思います。
フリーとしてコピーライターをしていたのですが、その時に、ある会社の会社案内を作ることになりました。制服を着た社員の写真を会社案内に載せようという案が出た時につい、「この制服の写真は企業イメージが下がるので載せないほうがいいですね」と本音をズバリ言ってしまったんです。後日、社長さんから「実は制服を変えて欲しいと直訴しようかと思っていたと社員から言われてしまったよ。会社案内に掲載しても恥ずかしくない制服を探してくれませんか。」という話になったのです。それがきっかけですね。 メーカーを探して交渉したところ、「佐々木さんに卸しますので、佐々木さんが売って下さい」ということになりました。メーカーの代理店のような仕事をしているうちに、コピーライターの仕事より、制服の注文の電話が来るようになっていきました。その後、個人事業主のままよりもしっかりと法人化して仕事をしようと決意し、ケイズネットワークを立ち上げたのです。
当時はまだ、女の子の仕事は事務のみ、といった感じで「このまま何年たっても同じ仕事をしているのかなぁ。もっと人の役にたったりお給料を増やしたいな」と考えるようになり、コンビニが少なかったので、社内の同僚たちからおにぎりの注文をとって、自分で作って売ってみたり、(1回で面倒でやめましたが)交代でする女子更衣室の掃除をみんなしないので、「女子更衣室お掃除代行します」とロッカーに書き、有料で代行掃除をしたり、商売っ気はあったみたい。社内広報誌の文章を書いたりするようになったのもこのころで、退職するころには、その会社のイメージコピーを書いて採用され、その後10年間も使われていました。まだ頭の中に起業ということがあったわけなく、コピーライターになりたいな!ぐらいでした。今振り返ると、OL時代に事務の基礎、パソコンの取り扱いなど、商売の基礎が勉強できたなとおもいます。まとまったお休みのある会社だったので、海外旅行もしましたね。おかげで、ワーキングホリデーで海外に行きたいという思いが強くなり、会社を辞めたんです。
ニュージーランド(NZ)です。NZは自然が雄大ですし、また、自分との年齢差が20歳年下から20歳年上の人とも友達になれる国で心の底から大好きになり、ワーキングホリデーで行きたい気持ちがどんどん強くなっていったのです。ですが、働きながら滞在できるワーキングホリデーには年齢制限があるんですね。それに食道アカラジアという病気をかかえていて手術をしないと治らないということもあり、思いきって会社を辞め、術後にNZへ行きました。沢山の出会いや学びがありましたよ。
英語スクールに通いながら、免税店で受付のアルバイトをしていたのですが、そのあと縁があって、地元のカフェで働きました。せっかくNZにいるのだから、NZ人の友達を沢山つくろうと思っていたの。カフェで沢山友達ができました。「カオルは日本人だから剣道できる?柔道は?華道はできる?できないの、つまんないわね」って言われ日本人らしさって大切だと思いました。日本の政治の話も質問されますし、わからなければバカにされます。結局私は、お料理でコミュニケーションを深めました。和食はヘルシーだとけっこう好評でしたよ。これがきっかけで帰国後、日本的なことをしようと思い空手を習って黒帯とりました。今はやってませんよ。痛いし...... 日本の物の豊かさにも気付かされましたね。15年以上も前だから当時のNZでは文房具の種類が少なくって、ノートなら同じメーカー、同じデザインのノートしか売ってない、誰もが同じノート使っているの。だから自分でデザインした紙を貼り付けたりして、オリジナルのマイノートにするんですよ。 物が少ないから物が盗まれる。スニーカーを盗まれて裸足で帰ったこともありますよ。滞在したオークランド市は100万人以上人がいるのに、町中に裸足で歩く人がいました。不思議な国でしょ?ベアフットと言ってNZ人は、裸足が大好きなんですよ。車なんて1974年もので、床に穴があいて運転席から下の地面が見える、オンボロカローラに乗っていました。帰国のときにはそのオンボロ車を売って帰ってきましたよ。売れたんです。国産車がない国ですしね。今、思い返すと、初めてNZに行った20年前はドアのない車やボンネットのない車も走ってましたね。それから現地の日本語のできる20代の若者が会社をつくってツアー企画や観光ガイドの仕事を楽しそうにしているのを目の当たりにして、びっくりしましたね。やればできるんだって、感動です。さらに当時の日本では、女性の姿をみることは少ないような職種でも多くの女性が活躍していましたね。女性バスドライバーなんかも当時から当たり前で。そうか、別に女性でも出来ることなんだと思いました。
ちょうどバブルがはじけていて、就職はとても困難でした。OL時代にコピーを書くことをしていて、好きだったこともあり、フリーでコピーライターをはじめたのです。名もないフリーのライターの収入は少なくて月10万円も稼げなかったですね。
若いときに、夢や目標が明確でなくてもぜんぜんあせる必要はないと思います。自分もそうでしたが、自分に合う仕事なんて用意されてないんです。経験もない若者に夢や目標は本当は見えづらいし、できることって実は少ない。目の前にあることを一生懸命にやることで、分かってくる、見えてくるものもあります。自分で勝手に選択肢を狭めるより、今できることに真剣に取り組めば方向性ややりたいことがはっきりしてくると思います。 そして笑顔とあいさつをしっかりできるようになって欲しいですね。笑顔は、誰にとっても心地いいもの。仕事をスムーズにするためには、賢い頭脳より笑顔かも。それとあいさつと、自分から声かける挨拶はコミュニケーションの基本、すべては挨拶からはじまります!
【編集後記】 高校時代に戻って勉強するとしたら何がしたいですか?という質問に佐々木社長からは「国語!」という力強いお答えをいただきました。「英語を勉強しても基礎の母国語、日本語がしっかりしていないと英語も学べないし、話すこと、伝えること、書くことはどの仕事にも必要でしょ」と話す佐々木社長の言葉に、できることを一つ一つ実行していく行動力や思いの強さ、自分をしっかり持つことの大切さを感じました。(あきたん)
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いえいえ、起業するなんて思ってもいなかったですよ。初めは、特になにも考えず、条件のよい会社がいいなと大手の農業関係の会社に就職して普通のOLを6年間していましたから。
働くスタッフを喜ばせたいって気持ちが強いですね。起業して13年たち、販売だけでなく、レンタルユニフォームも800名規模でも対応できるようになりました。本当にいいお客様に恵まれたおかげです。もちろんお客様に喜んでいただきたいし、顧客満足度を上げることが一番ですが、それが出来たら次は働く人の雇用満足度を上げたい。この会社に勤めたいって周りからも言っていただけるような存在感のある会社にしたいですね。



